英語の動画がお薦めに表示されるようになり、面白そうな動画を時々見ていたら下記が表示された。
"The Reality of Japan's Shortest Subway: Is the Crowding Solved?" Takagi Railwayの日本語版は時々見ていたが、英語版もあったんだ。知らなかった。で、タイトルだけでは分からないが横浜市営地下鉄の路線図(イラスト風の地図)が表示されていたので、おやっ?と見て見たら「グリーンライン」の動画だった。日本語版では『【混雑緩和】に成功した(?)地下鉄 開業時に抱えていた課題と対策の中身 イマイチ緩和されない混雑箇所とは|横浜市営地下鉄グリーンライン【小春六花】』 思わせぶりの強い日本語のタイトルよりも、英語の方がシンプルで分かり易いような気がする。内容はグリーンラインの現状をかなり正確に伝えていると思う。小春六花さんの声は高音が強いので、個人的には英語版の女性(2名?)のやや低い音声の方が好みではある。ただ英語版は少し短縮されているようだ。
さて、読んだ本の感想。久しぶりだ、
商人の戦国時代、川戸貴史、ちくま新書
中央権力が衰退し混迷する戦国時代、商人たちはどう生き延びたのか? 帯に「天下は銭で回っている」とある。有名な『楽市楽座』の実情も分かる。章立ては、
プロローグ──戦国時代の商人とはどういう存在だったのか?
第1章 戦国金融道 ──京都商人の栄枯盛衰
第2章 ほんとうの「楽市・楽座」──兵庫・堺・博多・伊勢大湊
第3章 新興商人vs.特権商人 ──利権だらけの中世
第4章 御用商人たちの暗躍 ──商人的活動を担った大名家臣
第5章 大名たちの経営戦略 ── 「資源大国」日本
第6章 世界史の中の戦国時代 ── 貿易を担った商人たち
エピローグ──新旧の秩序がせめぎ合った戦国時代
本書のテーマはエピローグにある「秩序と自由のせめぎ合い」である。特権を認められた商人と、実質的にそれを崩してしまっている新興商人のせめぎ合い。特権商人が過去の確証を偽造してでも自分達が与えられたとする権利を主張し、新興商人がそれに反論する。文書の実例を交えて説明があり、読むのは大変だが面白い。
第1章で、天皇家の資金管理を請け負っていた立入家が近江国野洲郡立入村(現・守山市)の出身らしいとあり、何となく親近感を持ってしまった。小さい頃、滋賀県に住んでいたから。
第2章も興味深い。「楽市・楽座」と言えば、近江国の安土が出て来る。子供の頃、東海道線の電車の行先に「安土」があり、今にして思えば80系だが古めかしい電車が使われていた。行先が「野洲」だと111・113系で3ドアの新しい電車なので、比べてしまう訳だ。安土駅は特に目立つところも無い田舎の駅だったと思う。織田信長が気付いたお城が近くにあるとは知らなかった。あの頃、滋賀県のお城と言えば彦根城だった。あとは、長浜や膳所を知っていたかどうか、、、多分知らなかったと思う。 で、信長は必要な場合は既存特権を認めており、むしろ楽市・楽座は岐阜城下の加納や、近江の安土などかなり限られていたようだ。
第3章に、既存商人の代表格として四府駕輿丁座が出て来る。何だか専門書みたいだな。むずかしそう。当時の「座」というもののイメージが掴める。自分の場合は、何となくつかめる、というレベルだが。第3章の項目をアマゾンからコピペすると、
「特権商人」対「新興商人」――新旧商人の競合/四府駕輿丁座の形成/巨大な特権商人集団の誕生/米の権益を独占した駕輿丁座/米商人への統制/四府駕輿丁座の弱体化/既得権益を揺るがす新興商人集団/利権の張り巡らされた中世/偽文書による紛争決着/偽文書が通ったのはなぜか?/相互不干渉と先例主義/今度は通行権を争う/商売は実績が物を言う/意外な判決/保内商人の戦いは続く/枝村商人の反論/保内商人の再反論/保内商人の苦しい主張/証拠文書か実効支配か/六角氏による意外すぎる判決/斎藤道三の台頭/判決には裏がある!/癒着の決定的証拠か/戦国時代に賄賂は当たり前/木綿運送をめぐるさらなるトラブル」
何だか凄い。初心者向けの新書なのか???と思ってしまう。でも面白そうで、分からないなりに読み進める。非常に強固と思われた四府駕輿丁座も、新興商人に押されて弱体化する。新興商人は近江出身者も多かったようだが、後の近江商人につながるのかどうかははっきりしないらしい。ともかく、先例主義と実績主義のせめぎ合いの中で、既存の特権商人は弱体化していった、ということのようだ。御成敗式目に20年の時効を認める条文があり、以前の民法で時効が20年だった理由とどこかで読んだことがある。日本は武家支配になってから、過去の証文よりも現在の実態を優先する考え方なのかな、と思う。「当知行」優先というらしいが、この辺り、文官支配の中国や韓国(朝鮮)と話が合わない理由なのかもしれない。どうなのだろう。 あと「戦国時代に賄賂は当たり前」とあるのが、現在の中国を連想させる。今の中国でも、先例主義と実績主義のせめぎ合いが起きているのだろうか?
第4章に「漂流物は誰のものか」の説明がある。当時の成文法はないが慣習法として「流れ着いた船はその地の神社や仏寺の修理費用に充てる、ただし船の乗員が船にいたならば船主に返す」となっていたそうだ。陸路の落とし物は、中世では拾った人のものに出来たそうで、基本は同じである。ただこの慣習法を逆手に取った略奪もよくあったそうだ。
同じく第4章に、戦国時代になって伊勢神宮は荘園からの収入が途絶え経営危機に陥り、列島各地への布教活動に活路を見出したそうである。これが江戸時代に伊勢詣ブームの下地となったそうで、弥次喜多道中が生まれることになる。なるほど。明治末から大正期の郊外電鉄開業時にやり手の寺社の経営者が出て、今の川崎大師や成田山新勝寺につながると読んだことがあるが、伊勢神宮ははるか前から色々やっていたんだ。さすがである。
世界遺産になった石見銀山も出て来る。当時の銀は、スペイン領メキシコからフィリピン経由で中国に流入したのだと思っていたが、実は石見銀山も大きな比率を占めていたそうで、意外だった。
「秩序と自由のせめぎ合い」、「文書主義」と「当知行主義」、自力救済に走る新興商人達が利益を勝ち取っていく、あまり知られていない戦国時代の一面を描いている。まだ理解しきれていないので、何度か読み直す必要がありそうだか、興味深い一冊である。
では。