宇都宮のLRTが試運転で脱線したという。
初めてやることにはトラブルが付き物なので、ある程度は仕方がない。
ウエイトを積まず空車で走行していたのだろうか、車体が軽くてカーブを
曲がり切れなかったのかもしれない。
それにしても、報道されている「次世代型路面電車」には違和感がある。
海外では次世代でも何でもなく、やや旧式の現行世代だと思う。
電池を積んで、一部区間を架線無しとする例も台湾や中国等では実現して
いるのに。
コロナは第8波、北海道が第7波を超える状態だと言う。
医療崩壊になるのだろうか。政府も危機感を持ったのか、第8波対策を打ち出した。
ところがこれは、国の緊急事態宣言無しで知事が様々な要請が出来るとしていて、
法的な裏付けがない、、、らしい。第1波,2波の頃なら「超法規」の要請も
やむを得なかったかもしれないが、もう3年目、どうなっているのだろう。
さて、
英語教育論争史、江利川春雄、講談社選書メチエ
小学校で英語の授業が始まっている。うまく行くのか、どうだろう。
実は明治初期の鹿鳴館時代にも小学校で英語を教えていて、賛否両論だったそうだ。
そんな論争があったとは、全く知らなかったので驚いた。
論争で決着を付けない日本人は、しばらく経つと似た論争をまた最初から行っている。
学習能力が無いように見えるのだが、これは英語教育論争に限ったことではない。
コロナ対策も似たような感じで、既視感がある。
章立ては以下の通り。
第1章 早く始めればよいのか?
小学校英語教育論争 〔明治期〕
第2章 優先すべきは訳読か?会話か?
文法訳読vs.話せる英語論争〔明治-大正期〕
第3章 目的は教養か?実用か?
中等学校の英語存廃論争〔大正-昭和戦前期〕
第4章 英語は全員に必要なのか?
「カムカム英語」と英語義務化論争〔昭和戦後初期〕
第5章 国際化時代に必要な英語とは?
平泉-渡辺「英語教育大論争」〔昭和後期〕
第6章 外国語は「英語だけ」でよいのか
英語帝国主義論争〔平成期〕
終章 そもそも、なぜ英語を学ぶのか?
英語教育論争史が問いかけるもの
著者が述べているのは、賛否とも同じ内容が繰り返し出て来ること。
また最初からやるのか、、、そんなことは止めてほしいという想いが
本書に結実した、そういうことらしい。
それにしても例えば第1章で
賛成論 ①外国人との意思疎通のため、②進学準備のため、
③児童は模倣・記憶能力が高いから、④英語は国際語だから
⑤貿易・学術移入に必要だから
反対論 ①児童の思考力等の不足・過重負担、②教師の能力不足・供給不足のため、
③児童の英語力・運用力不足のため、④英語は生活・仕事に不要だから
改善意見 教授法の改善、教師の力量向上、教科書の改善、など
令和の今でも通用しそうである。結局のところ、明治期の文部省は小学校での英語教育を
減らしていくのだが、明治期の論争が平成の時代に参照された形跡は無いそうである。
同じ失敗を繰り返さないか、英語塾が増えるだけなのか、と気になる。
明治の頃から、人間の考えることは同じだなのだな、とも思う。
いろいろと考えさせられる一冊である。
では。